墓話
b0087245_4161578.jpg

b0087245_4161532.jpg

去年のMOP公演『水平線ホテル』の楽日、夜を徹しての総打ち上げの時のこと、どういういきさつだったか憶えてないけど、なんか明け方頃に、俺、墓の話をしていたらしい(笑)。

別にお墓の話ったって、特別なことはなにもない。。。。(あ、ちょっと言っとくと、俺は歴史好きが昂じて「史跡巡り」に惹かれて久しいけど、別に墓訪問だけを好んでしてるわけじゃないんだよ。城郭巡り、寺巡りの方がむしろ中心的だな)

お墓が好きな方々ってのはたぶん、他にいる。

ハカマイラーって知ってる? 「墓参らー」って書くのかな?
以前、TVの何かの特集で、「ハカマイラー」が取りあげられてるのをたまたま見た。墓参りがカルチャーセンターの講座になってたのには、ちょっとびっくり! 番組で特に印象的だったのは、担当講師のハカマイラーが青山霊園へ30名くらいの受講生を先導し案内しながら、お目あての墓碑の前で、自らの思いを熱く語って聴かせていた光景だ。
その様子は客観的にみると、やっぱ奇異な感じがするけど、心情はわからんでもない。
完全な同心円じゃないけど、俺も重なるとこあるなって思ったから。

だけど何か、ちがうんだよな~! そうじゃねぇんだよな~墓って。

俺は、オカルトとか別に興味ないし、前世・来世とかも、あったらいいな~とは思うけど、まぁ、信じてない。
怪談話とか聞くの、めっちゃ好きやけど、めちゃめちゃそういうの苦手で怖がりやから、いつも必ず後で「聞かなきゃよかった(>_<)」ってブルブル後悔する。

そんな俺だけど、
墓地へ行くの、怖いなって思ったことは不思議と一度もない。 記念に撮った墓写真もずいぶん手元にあるけど、別に怖くない(心霊とか写ってたら嫌だけどな)。
なんで怖くないのかなぁ、多分だけど、要するに俺の〈墓観〉でいうと「墓ってモノはみな、あちら側(死者の側)じゃなくて、生きてるこちら側のモノ」なんだな。
後に遺された者が死者を想って建てた、“こちら側”の記念碑なのだ。 記念碑は風雪を経てやがて「史跡」へと移りゆく。個人の史跡だな、墓は。
 【墓のカタチ】墓には、ほんまにお骨が納まってる何謂「墓」と、お骨じゃなく例えば髪の毛やゆかりの品などを代用で納めた「墓碑」や、単に御参りするための便宜上のお墓、まぁ“参り墓”ともいうべき「供養塔」がある(←この分類分けは俺が経験上勝手にしたもんなんで、専門的にどうなのかは知らない)。墓は基本1個だけど供養塔にいたると同人でも複数個存在する場合も多い。ちょっと思いだしても、例えば織田信長。「墓」は阿弥陀寺の40㎝位の、粗末な石の五輪塔がそうだといわれる。でも、大仙院や本能寺、安土城跡や高野山にも信長の墓があり、これらは巨大で立派な「供養塔」で生前の権勢をしのばせ、今なおその存在感で周りを威圧している。
話がちょっと反れたけど、
史跡巡りの中で俺は城を見、銅像を見、個人の史跡というべきお墓を見る。
 墓は確に死者自身のモノにちがいない。けど、目に見える墓の姿は、死者の姿じゃなくて、故人を偲ぶ遺族の、故人に対する“心のよすが”がカタチになったものだなって思うのだ。だって墓ってさ、基本的に、自分で作ったもんじゃないじゃん(中には、生前に、自分で自分の墓をつくる人もいらっしゃるが)。デザインにせよ、材質にせよ、大きさにせよ、どういうふうに、誰が決めたの? 故人を慮る遺族や縁者等、後に遺された者たちが、自分たち皆が納得できるカタチに故人をまとめあげたもの――それが墓なんじゃないの。故人は生前こういう人だったんだよ、っていう皆の印象の合意が墓をカタチづくる。 だから墓が墓である資格っていうか、墓っちゅうもんは、一目見ただけで、故人を想う皆の気持ちを十分納得させることのできるもんじゃなきゃいけない。そういうふうに造られてるんだと、俺は思ってる。
だから墓地に入っても、目に見える墓石群は死者本人の姿じゃなくて、遺族の“想いのカタチ”…言い換えると遺族が考えた死者の姿が立ち並んでいる光景なんだ。墓は「死人」じゃなくて、生き遺された者の死者に対する「気持ちのカタチ」なんだな。 そんな「気持ちのカタチ」を写真に持ってても別に怖ないやん。 な。
 【俺の墓参り①】
歴史人物に対して俺があるイメージを抱いたとしよう。それは、その人物への印象っていう「気持ちのカタチ」を持ったってことだよな。
そして。 実際にその墓を訪れ見た瞬間、こちらの想いや印象がピタッとくる想像通りの墓だったりすると、なんだか嬉しいしすごく納得させられる。 俺のいう墓参りって、お参りに行くっていうよりはそんな感覚なんだな。こちらの関心や思いを「想いのカタチ」としての墓に持って行って、合わせてみるっていうか…う~ん、うまく説明できてないなf^_^;。感覚的なものだからな。
だから墓と対面している時間って、結局、俺自身の中のイメージと向き合って確認するっていう、あくまで墓を見た時“俺”ん中に何が起こったか…を体験する俺的な時間なんだな。「墓」を読み取るんじゃなくて、墓を通して「俺自身」を読み取って整理する。 だから雑音はいらないな。墓へは独りで静かに行く。
 【計算されてる…参道】
静けさ。 寺って、うまく出来てて門前から墓地へ行き着くまでの間、ちゃんとストーリーというかドラマを用意してくれてる。どんなにこちらの気持ちがガサガサしてても、門をくぐりぬければそこは非日常。和様の世界。手水を左にみて本堂を正面に、つづく参道を一足一足行くにつれ日常のいろんなものが落ち脱け、歩いてるうちに気持ちもシ~ンと鎮もってくる。そうなるように出来てる。(←この歩かされるってのが実は重要で、長い参道それも石階段だったりすると結構な運動量だし、ひと汗、体を動かすことで気持ちをリフレッシュさせてくれる狙いがある…って思う。)。基本的に、寺は音のない世界だ。リズムが無い世界。じゃ、鐘は? 鐘は、その音色自体がどうのって実はあんまり意味なくて、それを聞いた各人の気持ちの状態に意味があると思う。鐘の音色ののびやかさが、参拝する時のこちらのこころもちの見本例みたいな。「あ、のびやかなこんなカンジでやってくれ」ってのを教えてくれる。こっちの、気持ちの波長の試験音だな、鐘は。抑揚の無い読経音もいっしょ。
 【俺の墓参り②】
俺は墓へミステリーはもとめてない。だけどな…。
俺は「墓」を読み取るんじゃなくて「俺自身」を読み取りに墓地へ行くって、さっき言ったけど…確にそうなんだけど、墓はやはり墓だから一筋縄じゃいかない場合もある。偶然に「墓」自身を読み取ってしまうことも時にはあるんだ……不本意だけど、ある。そうなると…やっぱちょっとミステリーだ。 当たり前だけど、墓って“他人の過去”だからな。本当は簡単に立ち入っちゃいけないもんだ。
それに、俺が好んで見に行く歴史上の人物の墓は、悲劇的な末路をたどった人物のモノが多いしな。むしろ選んでそういう墓を見に行ってる。かなり積極的に。
幕末なら、志なかばで倒れた志士とか暗殺者の墓、あと天誅で首をとられた者とか。 歴史的有名人の墓なら、ほっといてもたくさんの人が集まってくるだろうけど、こういう種類の人々の墓への参拝はあんまり無い気がする。片手落ちだよな、って思う。

だから俺が行く。

歴史の裏街道を走る人物って異説や伝説の類が多く、墓も埋もれてその場所もわからなかったりする。 例えば坂本龍馬暗殺の実行犯の一人といわれる京都見廻り組の渡辺篤。この方の墓は現在無縁墓地の中に乱雑に投げ捨てられてある。他の無縁墓石群と折り重なってしまってるんで、隙間から、かろうじて渡辺の「渡」の字が読み取れるくらい。この状態どう思う?
また三鷹の太宰治の墓を知る人は多いけど、太宰と心中した山崎富江の墓も一緒にお参りしようとする人はほとんどいないのでは?

歴史の裏にひそんで生きる人々。そういう種類のお墓に足を運んで、「墓」そのものを、不用意に読み取ってしまった経験もある。
 【墓との対話 …ミステリー】
赤松小三郎と山田浅右衛門の話をしようか。 この二人の墓は俺にとってそういう墓だった。思い出深い。

赤松小三郎は、時は幕末、信州上田藩の藩士で、薩摩藩の洋式軍学者に迎え入れられた人物だが、人斬り半次郎といわれた薩摩の中村半次郎(後の桐野利秋)に暗殺され、墓は京都黒谷にある。
10年くらい昔かな、新選組が今みたいにブームになる前、俺は新選組研究会「誠一字」っていうサークルの機関紙に、赤松小三郎の墓から偶然読み取ってしまった薩摩藩の陰謀説を発表したことがある。詳細は省くけど、まぁ概略は→
薩摩で軍学を教えた赤松小三郎が門弟の中村半次郎に殺された事件で、薩摩は暗殺犯は不明と公式発表して謀略を隠蔽し、赤松の死を全藩を挙げて悼み(←しらじらしい)、その墓石も薩摩藩が出資して作ったというもの。 薩摩は赤松が邪魔になったんで自分んとこで赤松を始末しておきながら、対外的には左幕派のやつらに赤松は殺されたんだと被害者面を決め込んで、赤松の死をカモフラージュしたんだ。なぜそうする必要があったのかという俺なりの推理もここでは省くけど、そんなことどもが、赤松の墓石の背面に刻まれた“刻文”を読んでたら、だんだん手に取るように読み取れてきて、ゾッとしたな……、赤松の無念さが俺にそれを訴え、読み取らせたような気も……考えすぎか。墓と対話してしまった“瞬間”というのを感じたな、その時。ミステリーというべきか。
そんなたわいもない俺のちょっとした発見話が、歴史家の目にとまって『坂本龍馬101の謎』という本の中で、文献として引用されたこともある(写真は、同書180ページのその箇所)。ある意味、このことの方がミステリーか…f(^_^;)

次にいってみよう。山田浅右衛門だ。
山田浅右衛門は、言わずとしれた江戸時代の首斬り役人だ(本職は、将軍家に献上する刀の切れ味を吟味する御試御用役)。この山田一族が代々、罪人の首を専属世襲で斬ったんで、世間のひとから“首斬り浅右衛門”と呼ばれて恐れられ、忌みされた。その山田浅右衛門の墓が東京四谷にある。だが、柊の家紋が印象的なその墓石には山田朝右衛門とあり、「浅」と「朝」で字が違う。なんで?
調べてみると、ま、俺の推測だけど、「浅」の字はどうも山田家の当主のみが世襲で使用する由緒格式あるもので、分家や養子は浅の字を遠慮して「朝」を使用したらしいのだ。幕末、小塚っ原の刑場で吉田松蔭や橋本左内の首を斬ったのは、当主より腕がたった弟、山田朝右衛門吉利の方であり、8世山田浅右衛門吉豊ではない。「浅」と「朝」、こんなのも墓から読み取れたミステリーのひとつだと思う。

よし、この調子でどんどん…って、アレ? もうこんな時間かよ!げげっ。丑三つ時じゃんッ! 怖え~よ!!


墓話、あんまりはかばかしくないけど(^。^;)これで終りね~。

んじゃ。
[PR]
by mop-okamura | 2006-06-14 04:16
<< 明智光秀公顕彰会 2006年度 総会 本能寺 >>



岡村宏懇のブログ
by mop-okamura
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30