松山滞在記③ ~松山墓情~
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(写真①) 郷土の英雄・秋山好古の墓。日の丸の旗が立ってます。
     好古は日露戦争で日本陸軍騎兵隊に世界で初めて機関
     砲を常備し 世界最強といわれたロシア・コサック騎兵
     隊を撃退したことで有名。
(写真②) 赤穂義士の墓。
     なぜこんな所に赤穂義士の墓が?…と一瞬思ったが
     そういえば、赤穂浪士は、討ち入り後、松平家他4家
     にお預けとなったが、大石主税ら10名は江戸松山藩
     邸にお預けとなったんだった。元録16年2月4日、
     切腹を命ぜられ、義士らは皆 東京の泉岳寺に埋葬さ
     れた。
     (写真)に見える左の2基が赤穂義士、大高源五と木村
     岡右衛門の遺髪を埋めた墓。右手の1基が2人を介錯
     したといわれる松山藩士・宮原久太夫頼安の墓。お預
     け中、二人と特に懇意になった宮原は、二人の遺髪を
     自分の松山の檀家寺に埋葬し菩提を弔った。
     だから ここ松山に赤穂義士の墓があるのです。
(写真③) 今や無縁仏の墓石群に埋もれてる。。。幕末の有名人
(写真④) その有名人とは→佐久間象山の息子で、元・新選組隊
     士の三浦啓之助の墓。
     他の無縁墓石に紛れ埋もれて 刻文がハッキリ読めな
     いんだけど、左測面に
     
     『君姓平諱恪長野縣士族…
      生諱啓之嗣子成嘉永…
      十一日生干信濃松代…』
     
     とあって、佐久間象山が松代藩士なことや、姓が平
     (たいら)、諱(いみな)が「恪」という情報から象山の
     息子のことであることが分かった。
     ちなみに、正面にはちゃんと
     『司法省十二等出仕佐久間君之墓』
     と、刻まれてました(写真⑤)。

ちなみに三浦啓之助(本名・佐久間恪次郎だったかな?ちょっと名前をハッキリ思いだせません)という人は、
父・佐久間象山が暗殺されると、新選組に入って 父の仇を討とうと志をたてるが、生来の粗暴さが災いして新選組をクビになった。明治維新後は、新選組にいたという経歴にもかかわらず“親の七光”で松山県裁判所判事として松山に赴任するが、明治10年 2月26日 食中毒にて死去した。享年29才と伝わっている。

佐久間象山も傲岸不遜な人物だったと言われ、みずからを“人間として優れた優良種”と考え、自分の“種”を残すことに躍起になったといわれているが、その象山の“種”である息子が、ここ松山で無縁仏になっているのを見て、ちょっと感にたえないものがあった。

ここ松山で、象山の系譜のひとつが絶えてました。。。
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by mop-okamura | 2008-07-20 22:13
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