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高知滞在記⑤ ~吉田東洋編~
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(写真①) 吉田東洋暗殺の図(瑞山資料館 蔵)
(写真②) 高知城下・東、帯屋町筋の暗殺現場に建つ〔吉田東洋
     先生記念之地〕碑。
(写真③) 筆山に眠る吉田東洋の墓
(写真④⑤) 霊蝶!?

藩主・山内容堂の参政であり“公武合体”策を強力に推し進めようとしていた吉田東洋は、武市半平太を盟主とする土佐勤王党の“尊皇攘夷”派とは相容れない政敵であった。
 “一藩勤王”を目論む武市半平太は東洋を暗殺して土佐藩を一気に“勤王藩”へと動かそうとするのだが…

  東洋暗殺の地は、現在の〈ひろめ市場〉近く。

後々の土佐勤王党弾圧の時、
武市半平太は東洋暗殺の嫌疑で取り調べられ切腹させられたが

その〈武市瑞山殉節之地〉も、ひろめ市場近くで、東洋暗殺の地のすぐそばです。
なんか因縁めいたものを感じますね。

さて。
その吉田東洋の墓だけど、筆山の南面中腹に広がる広大な墓域の中の何処にあるのか全然わかんなくて、探すのにめっちゃ苦労しました。
杉木立の中、もう墓石の“吉田”という文字だけを探して
歩いた歩いた。。。

直感に頼って歩き、ようやく発見!

〈お墓〉にドラマを読み取り、感銘を受ける場合が時々ある。
吉田東洋の墓の近くに 末裔である御一族の方々の墓が並んでて、今回その中の一基に目が吸い付いた。
吉田Sさんという方のお墓で、その墓石側面・裏側にビッシリと文が刻んであるのだが、その“曰く文”が、墓石によくある一般的な漢文調じゃなくて普通の現代口語!だったから よけい意外で、スラスラ読んでみれば、なんでも、このSさんは生前、行方が分からなくなってた大先祖〈吉田東洋〉の墓を見つけだし菩提を弔わんことを悲願していたが、志し果たせず死去。子と孫の代になってようやく埋もれた吉田東洋の墓を発見。これによってSさんの悲願を達成し、それを報告するとともに吉田家先祖代々の墓域を整備して ここに安らかにその菩提を弔う…とありました。

幕末の歴史人物の、その末裔の方々の御努力を垣間見た思いで、篤くお参りしました。

あ、それからもうひとつ!

今回の四国公演で、岡田以蔵の墓、武市半平太の墓、山内一豊の墓、長宗我部信親の墓、一領具足の墓…など いろいろ回ったが、その墓域で必ず見かけた蝶々がある。

黒い大きな羽に淡水青色の斑紋の入ったかなり大きめの蝶々。

最初、黒アゲハかと思って見てたんだけど、どこか違う…

なんだか“喪服を着た蝶”のようにも思えて、私は何気に(…亡くなった人の魂が蝶となって飛んでいる)ような気がしてたんだが(←霊蝶?)、実はこれ

特別天然記念物の蝶~☆ なのでした (゜Д゜;)

“幻の珍蝶”ミカドアゲハです!

高知県内では、この筆山山麓辺りがその生息地だそうだが、近年の都市化で もうほとんどその姿を現さなくなったんだそうだ。

人の生活圏から隔たった墓域に来て、いや~ 思いがけず、エエもん見せてもらいました!
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by mop-okamura | 2008-07-31 22:12
高知滞在記④ ~武市半平太編 vol.Ⅱ~
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(つづき)

(写真①) 薫的神社境内に保存されている旧・山田牢舎。
     解説文を読むと昭和初期まで牢屋として使用され 政
     治犯等を収容していたらしい。
     幕末、ここに武市半平太や岡田以蔵が収容され、厳し
     い取り調べを受けた。
(写真②) 武市半平太切腹の図(瑞山資料館 蔵)。武市半平太は
     古式に則り、三文字に腹を掻き切って果てたという。
(写真③) 高知城下・東にある〔武市瑞山先生殉節之地〕碑
(写真④) 瑞山神社の裏手の山の中に武市一族の墓がある。
     向かって右の、墓石のてっぺんが小さく欠けてるのが
     武市半平太の墓。左が妻、富の墓。
(写真⑤) はりまや橋からバスに揺られて20分~バス亭〔瑞山
     橋〕を降りると すぐ目の前の川に橋が架かっていて
     見れば武市半平太の辞世がレリーフとして刻まれていた

  花依清香愛   花は清香に依って愛せられ
  人以仁義栄   人は仁義を以て栄ゆ
  幽囚何可恥   幽囚何ぞ恥ずべき
  只有赤心明   只赤心の明かなる有り

                 (瑞山・武市半平太小楯)
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by mop-okamura | 2008-07-30 23:15
高知滞在記③ ~武市半平太編 vol.Ⅰ~
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(写真①)

武市半平太木像。
以前、この木像を原型にした銅像が建てられてたらしいが、頭が大きく不格好…という理由で評判が悪かったようで、現在は撤去されて、もっとスマートな銅像に建て代えられた。
そのスマートで凛々しい武市半平太像は高知市から須崎市に向かうドライブウェイの途中に太平洋を見つめて建ってるんだけど、須崎公演へは電車移動だったので、見てませ~ん。

(写真②)

奈半利川畔に福田寺というお寺があって、そこに清岡道之助を領袖とする〔二十三烈士之墓〕があるんだけど、その寺の境内に武市半平太の像があるのを思いがけなく発見!
 (でも、よく考えてみたら…清岡等の野根山武装蜂起は、“公
 武合体”へ傾きかけた土佐藩の藩論を再び“尊皇攘夷”へ回天
 することと、獄舎に繋がれた武市半平太の赦免を求めての事だ
 ったんだから、武市半平太の像がここにあるのもうなづけます
 ね(*‘‐^)-☆)

(写真③)

瑞山神社境内にある瑞山資料館の中。
資料館といっても、近隣の人々の自主運営による“町の集会所”みたいな雰囲気の処です。 無人で、見学の際は自分で電気を点けて御覧下さい…とありました。
 (↑こんなカンジの所、私はすっげ~好きです。なんだかすっ
 ごくワクワクしますo(^-^)o)

(写真④)

写真①の木像モデルの銅像が持ってた佩刀。
銅像自体は無くなっちゃったけど、刀はここに遺ってました。よくみれば刀を掴んでる左手拳も刀に付いてます!
左手ごと切り取ってここに展示されてるんですね~。

(写真⑤)

半平太の妻・富の肖像。
私は初めて見ました。けっこう珍しい展示品かな!?


郊外の山裾に武市半平太の旧宅が遺ってて、
陽も高い午前中に訪れたからか、山と川と田園の広がるこの辺りは 明るくのどかな印象の土地柄に思えました。

てくてく歩いてると、山から

バーン!

      バーン!!

            バーン!!!

と発砲音が耳を打ち、度肝をぬかれた.. ( ̄□ ̄;)

何今の!? 猟銃ちゃう!?

と、思ったが、武市半平太旧宅から出てきたオバサンに聞いてみると〈カラス追い器の音〉なんだそうだ。
カラスが畑や田圃を荒らさないよう、定期的に爆音を発して追い散らしてるんだとか。。。

山の中から聞こえたと思ったのは、その爆音のこだまでした。

ホンマに腹に響く爆音でビックリします。

そうそう、武市半平太旧宅は国の指定史跡なんだけど、現在、Sさんという方の私宅だそうで実際にそこに住んでおられます。
たぶん、さっきのオバサンがここの家の方だと思います。

(つづく)
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by mop-okamura | 2008-07-30 22:56
高知滞在記② ~中岡慎太郎編 vol.Ⅱ~
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(つづき)

(写真①) 室戸岬の巌頭に建つ巨大な中岡慎太郎像
(写真②) “台風銀座”室戸岬の波打ち際
(写真③) 波打ち際には巨岩怪石がゴロゴロ
(写真④) 気持ちイイ~♪
(写真⑤) 室戸岬の砂利浜で拾った石。これはなんでしょう?
     …化石?…珊瑚片? 石のブツブツの穴の中を覗くと
     貝の跡が遺ってます。

中岡慎太郎を見たくて、室戸岬まで足を伸ばしたんだけど、これもまた遠かった~(>_<)

着いたのが夕暮れで、最終バスが18時過ぎ位だったんで、駆け抜けるような散策となってしまったが、夕映えに映える室戸岬は綺麗だった♪

この辺りの家は、台風の風を防ぐために石積みの高い塀の内側に小さく建てられていると聞いていたが、あんまり見かけなかったなぁ

むしろ、桂浜へ向かう途中の長浜市内で、高い石塀に囲まれた民家をよく見かけました。
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by mop-okamura | 2008-07-29 19:39
高知滞在記① ~中岡慎太郎編 vol.Ⅰ~
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こないだブログにUPした桂浜の坂本龍馬像つながりで、今回は中岡慎太郎について。

(写真①) 記念館前に建つ中岡慎太郎像
(写真②) 中岡慎太郎遺髪墓(右)&妻・兼(左)の墓。墓の刻銘
     から慎太郎の妻・兼は明治32年に57歳で亡くなったこ
     とが分かる。慎太郎横死時、25歳でした。ちなみに慎
     太郎の墓は京都にあり、龍馬の隣でひっそりと眠って
     いる。
(写真③) 生家跡の床の間に飾られている慎太郎肖像画
(写真④) 同じく慎太郎像
(写真⑤) 生家跡

7/21は一日オフだったんで、高知市を遠く離れて安芸郡北川村の中岡慎太郎記念館と奈半利町近辺の維新史跡、そして更に足をのばして室戸岬まで行ってみました。

中岡慎太郎の生家跡近くにある中岡慎太郎記念館だが、もうめちゃくちゃ山奥でビックリ!
いったい幾つ山を越えたろうか?
 (こんなところに人が生活してるの?)
と、段々不安になってきた頃、ようやく到着。
バスの便も一日に6本くらいで それも12:04発の次が15:28発というので、一本乗り遅れたらエライことになる(T▽T;)

かく言う私が駅に降り立ったのは12:28

  …タクシーで行った。

山また山の狭隘な谷間に数戸の人家が密集してて、その中に記念館がド~ンとあった。
付近に慎太郎史跡がいっぱいあるが、一巡してもまだ時間があるので、猛暑を避けてもう一回 記念館に戻れば、学芸員の方が「暑いですね~」とわざわざ外の自販機まで缶コーヒーを買いに出て下さり御馳走になった。
しばし、中岡慎太郎のことなど四方山話で盛り上がり、学生時代は京都にいて会津贔屓だったことなどを伺う。(^_^)

山間の谷間にある北川村。
 もう呆然としてしまう程の のどかすぎるこの土地。
高知城下への道のりは遥かすぎて、茫々として、それはもう別天地としか思えない。
北川村にいてその道のりを思う時、高知城下に行くのも例えば京都へ行くのも、イメージ的にそんなのに変わらない…と思えた。
大庄屋の跡取りとして産まれた中岡慎太郎が、このまま庄屋を継いで北川村に止どまるか、“志士”として郷関を出ずるか、その選択を迫られた人生の岐路は23歳頃のことだったらしい。

北川村は今も、
慎太郎が庄屋見習い時代に〈飢饉〉に備えて栽培を奨励した柚子が名産で、現在では高知県内の一大産地として知られている。

行き着くことすら容易でなかった山奥の地・北川村を後にして、
次に 海際の奈半利町に出て、「二十三烈士の埋葬地」を訪う。

(つづく)
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by mop-okamura | 2008-07-29 14:15
桂浜②
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桂浜といえばもうひとつ!“坂本龍馬像”は見逃せません。

竜頭岬の松林の中に建つ龍馬像は、やはり素敵!(写真①~③)

でも思ってた程大きくはなかった。
先に、室戸岬の巌頭に建つ巨大な中岡慎太郎像を見てたからそう思えたのかもしれない。。。
龍馬像は中岡慎太郎像の半分…とはいわないまでも2/3位の大きさかな!?

そして、よく言われてる…龍馬と慎太郎は向かいあって建てられてるという話。
実際に見てみると、ちょっと違うような気が…。

中岡慎太郎像(昭和10年建立)は確かに太平洋を見て建ってます
 坂本龍馬像(昭和3年建立)の方は太平洋の大海原の方角ではなく、室戸岬よりももっと内陸の安芸市芸西村方面を向いているように、私には見えました。

ちなみに芸西村の琴ヶ浜には、坂本龍馬の妻お龍とその妹君枝の銅像が近年建てられたと聞く(写真④)。
こちらは、桂浜の龍馬の方を向いています。

なんだか面白いですね(*^_^*)
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by mop-okamura | 2008-07-28 00:05
桂浜①
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(前のつづきです)

長宗我部元親の居城、浦戸城址のふもとが、あの!桂浜です!!

白砂青松を絵に描いたような広い浜!

   打ち寄せる青波!

いや~、いいっすね~♪

波打ち際まで近づいてみる。
室戸岬では波打ち際まで近寄りすぎたのか、突如現れた大波に ズボンの裾が捕られて水浸しになったんで、今回は打ち寄せ引く波のリズムを測りながら恐る恐る近づく(笑)

足が白い波に洗われて気持ちイイ~♪

太平洋は日本海より青いなぁ~。。。

海も広いけど、空も広いな~。

ほんとうに とにかく空が広くて広くて、
夜になって月が上がれば、きっと手に取れるほど近くに感じられるに違いない。

与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」を論難した、土佐出身の作家 大町桂月の碑が浜に建っている。
そこに

 「見よや見よ みな月のみのかつら浜 海のおもよりいづる月
  かげ」

と刻まれていて、“月の名所”と言われる桂浜の夜景が目に浮かぶようだ。

機会があれば、ぜひ“月の桂浜”を見てみたいo(^-^)o
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by mop-okamura | 2008-07-27 23:31
長宗我部の国
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広い青空! だだっ広い大地!

もう うるさいほどの蝉の中、桂浜まであと4Kmと 程ない〔長浜〕という地区をてくてく歩いています。

ここは、戦国時代、四国を平定した長宗我部元親ゆかりの地です。

先ず菩提寺である雪蹊寺へ。
ここは四国八十八ヶ所霊場の33番札所とかで、お遍路さん御一行に遭遇しました。私は史跡や墓石巡りを目的で寺へ行くんだけど、自然に四国霊場巡りにもなっています(笑)。
武市半平太や岡田以蔵が幕末に入牢した牢獄の建物が遺っていて、それを見に行った神社の 隣の安楽寺も30番札所でした、確か。

さて。
雪蹊寺で、長宗我部元親の長男で22才で戦死した信親の墓(写真①)にお参りした後は、近くの若宮八幡宮に足をのばして、〔元親公初陣之像〕(写真②)を仰ぎ眺める。
なかなかの迫力で、全身に“気”が漲って はち切れんばかりです
 右手で6m近い槍をしごき、目はクワッっと見開き、左手は何かを掴み取らんと伸びています。
ふと、像を眺めやる私の足下に目を落とせば、そこに四国一国の絵地図が!描かれてました。
そうです。
元親公は四国一国を掴み取らんと手を伸ばしているのです。

てくてく歩いて、
次に 天圃山中腹にある元親公の墓(写真③)へお参りに。
墓前階段の前の大樹の影に、元親公の愛馬・内記黒の碑が小さく建ってました。卵型の碑には蝉の抜殻がついてて(写真④)、いかにも“兵どもが夢の跡”というカンジでした。

更に足を伸ばし桂浜の海鳴りが聞こえる竜王岬の裏手へ。
ここに“一領具足の碑”(写真⑤)がある。

これは関ヶ原の合戦で敗北し、土佐一国を召上げになった長宗我部盛親の 家臣約300名が、徳川方の城受け取りに抵抗・抗戦した歴史的哀史の史碑です。

さて、いよいよ桂浜が見えてきました。

音といえば

   ざざ~ん
         ざざ~ん…

と、絶え間なくつづく海鳴りと蝉の音だけ。

なんだか静かで落ち着きます。

頭を幕末に切り換えて

  浜辺を てふてふ

    歩いてきます(^_^)
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by mop-okamura | 2008-07-27 13:09
南国の雰囲気
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(写真①) カラクリ時計(通常時)
(写真②) 定時になると、仕掛けが動き出して、上に高知城、右
     手に“はりまやばし”、左手に桂浜と龍馬像、下によ
     さこい踊りの群像が現れます。高知の名所総覧ってカ
     ンジです♪
(写真③) 明治41年架設のはりまやばし
(写真④) 昭和25年架設のはりまやばし
(写真⑤) 平成10年架設のはりまやばし
     手前の白いモニュメントは“純信・お馬像”

     名所“はりまやばし”はよくみると隣接して3つあり
     ます。それぞれがそれぞれに趣があるけど、昔を偲ぶ
     には周りが繁華街すぎて難しいです。観光スポットで
     すね、これはもう。

南国土佐!高知市に来ています。

いや~暑い! 陽射しに肌がチリチリ焼けて、煙り出てます(笑)
街なかを歩き回っているだけで、めちゃくちゃ日焼けします。
今日は特に焦げて、顔も腕も 真っ赤です。

高知市といえば旧・土佐藩!
維新史跡など、もう わんさかあるし、書ききれない!

  (…高知市も松山と一緒であんまり方言が残ってないかな~)
…と思ってたら、ものすごくポピュラ~な土佐弁が、至る所で聞けてちょっと嬉しい。
南国の人は人懐っこいのか、お遍路さんの行き交うお国柄だからか、街をフラフラ歩いていると、やたら

 「どっから来ちゅう?」

と声をかけられる。

 (…あ!もしかしたら…今、私は坊主頭だから、お遍路さんと
  間違われてるのかも(笑))

方言でも
「…ぜよ」ってのは全く聞かないが、
「…しちゅう」とか「…しちゅうが」とか「…がかよ」とかは、
よく耳にする。

街を陽に焼かれながら縦横に歩き周り、高知城を起点に東西南北の地理がようやく体に染み付いてくると、高知市も私なりに(どんな街なのか)感覚的に識ることができてくる…。

市内に史跡も多いし 歴史ある土地柄なのに、
どういうわけか私には訴えかけてくるものが…あまりない(あくまで私個人の印象なのですが)

なぜだろう? 不思議だ。

歴史に思いを馳せるために、
想像力を“小さく閉じていく”方向(?)に集中し纏めていこうとするんだけど
だだっ広く開放的な街の雰囲気(土地柄)に、その“想像力”までもが開放されちゃって、思念が頭にも身体にも何にも溜まらない。
なんか、頭ん中に小さく纏めよう纏めようとする力が全部開放!されちゃうカンジ。

小さいことにこだわらない

開けっ広げな開放感

そんな空気につつまれて、なんか歴史について細々考えるより、街中をサンダル履きで自転車に乗ってどこまでもただただ走っていきたいような…そんなカンジにさせられます。

暑い、熱い、開放感溢れる街

それはもう いかにも南国!ってカンジです(^_^)
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by mop-okamura | 2008-07-26 09:46
岡田以蔵に斬られた!?
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 (写真①) 「墓地あります」の表示板。文字が消えかかっている
 (写真②) 墓地参道。写メの感度が良いから明るく写っている
      けど、肉眼で見ると、ほんと暗い。
(写真③④) “人斬り以蔵”こと岡田以蔵宜振の墓

私にとっては珍しいことなんで、これも忘れない内に書いておこう

地方へ行くことがあると、できるだけ史跡巡りをすることにしている。墓参りもそのひとつ。

今日、初めて怖い…というか…恐ろしい…というか…そんな気がして震えたのだ。墓参りで。 初めてだ、こんなの。

小高く鬱蒼と繁る山の中腹に、
幕末、暗殺剣を振るって“人斬り以蔵”と恐れられた岡田以蔵の墓がある。その山の登り口で先ずちょっと足がすくんだ。
陽がまだ高い午後なのに、山の中が思いの外 暗い。
足下の悪い 幅30センチ程の山道が細々とつづいているんだけど、先の方がどうなっているのか、暗いし樹木に遮られて よくわからない。
ちょっと たじろぐ。
それに、サンダル履きだったんでマムシとかに噛まれたらイチコロだな…という心配も頭をよぎり、なんか気がすすまない。
けど、せっかく来たんだからと獣道みたいな山道を独り登ってゆく
 …のだが、途中2回位マジで引き返そうとした(こんなことも初めて)。
それでも、もうちょっと…もうちょっとだから…と気力を絞って前へ前へと進んで行った。

山全体が、私を歓迎していないオーラをものすごく発しているような気がした。とにかく、なんか嫌な気がしてしょうがなかった。

いつしか、お題目を唱えながら登っていた(…宗教に興味のない私が、お題目を唱えるのも変だけど f^_^;)
とにかく、声を出してないと意志がくじけそうで、なんでもいいから声をあげて前に前に進む。

そして、やっと 当の以蔵の墓を見つけた。

木漏れ日もささない狭い墓域に、岡田一族の小さな墓が並び立っている。その一番奥端に、一際黒ずんだ色の墓石があって、それが以蔵の墓だった。

落ち着いて お参りしようにも、墓石に真っ黒になって蠢いている薮蚊の大群に襲われて それを許さない。

…5分も墓前に居れなかった。

もう 薮蚊を振りきりながら、転げ落ちるように下山しました。

腕と足、首を刺され、計11ヶ所 血を吸われた。

パチンと叩き潰した蚊が、腕に血痕をつけてへばり付いていた。

その、腕の血(血痕)を見ているうちに…ふと

墓参りに行って…人斬り以蔵に斬られたような気がした。

(7月20日)

今(7月21日 夕刻)、室戸岬にいま~す♪
太平洋を睨んで聳え建つ 中岡慎太郎の巨像前からブログ更新!
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by mop-okamura | 2008-07-21 18:55



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