<   2010年 07月 ( 17 )   > この月の画像一覧
高知あちこちvol.11 〜桂浜③〜
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【写真】

月の名所は桂浜〜♪

シリーズ最後は

  ★桂浜百景 ★☆★


美しいですね♪


(高知あちこちシリーズ これでおしまい)
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by mop-okamura | 2010-07-31 17:49
高知あちこちvol.10 〜桂浜②〜
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言わずと知れた 坂本龍馬像です。

前回来た時もそうだったが、
龍馬像は太陽を背にして建ってるんで、いつも逆光で顔がよく見えない。

今回も、眩しい太陽光に目を細めながら その尊顔を拝し奉ったんだけど、やっぱり表情がよく見えない(>_<)

でも、今回 日暮れ時になると、ライトアップされることを知り、
その時分にまた訪れて写メに収めました(写真③④)。

どうでしょう?

なんとなく龍馬の表情…わかりますかね??


(あと一回 つづく)
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by mop-okamura | 2010-07-31 17:47
高知あちこちvol.9 〜桂浜①〜
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本日は、いよいよ東京・王子公演の本番です。

高知公演からちょっと間が空いたんで、気を引き締めて参りたいと思います。

…と言いながら(笑)、

本番準備の隙間の時間をぬって、[高知あちこち]シリーズの最終更新をします。

高知公演の最後はやはり桂浜でシメたいと思います♪

一挙に3連チャン更新! 〜よろしく♪


【写真】

特に説明無用ですね(^∀^)ノ

②は桂浜の砂浜の白石。

一昨年の『阿片と拳銃』の高知公演の時は、室戸岬まで遠出して、岩頭に建つ中岡慎太郎像を仰ぎ見ながら、浜の白い小石をひとつ持ち帰りました。

今回は、桂浜の龍馬像を仰ぎ見ながら、記念にここの小石をひとつ持ち帰りました。


(つづく)
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by mop-okamura | 2010-07-31 17:46
高知あちこちvol.8 〜須崎〜
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【写真】

① 劇場近くから見える湾
② 須崎の街中
③ 歩道のマンホール
④ 発生寺にあった龍馬関連史蹟‐龍馬の首切り地蔵
⑤ 須崎小学校 校庭の西側が、よさこい節で唄われた“坊さんか
 んざし買うを見た〜♪”で有名な、
 坊さんからかんざしをプレゼントされたヒロイン「お馬」さ
  んが一時期住んでいた辺りです。

須崎市の公演は、乗り打ち公演だったんで、
ホテルを朝7時30分に皆でバスで出発するという強行軍だったが、舞台の設営も14時には目処がつき、本番前には1時間半くらいの時間もできた。

もうなかなか須崎に来ることもないだろうと思ったんで ふら〜と街の中へ散歩に出てみたら、坂本龍馬の史蹟に出会ったり、以前から見てみたいと思ってた「お馬」の旧居跡が意外に近い所にあったりと、須崎の街を楽しみました♪

中でも、「龍馬の首切り地蔵」は一見の価値ありでした☆

なんでも、幕末、この発生寺の和尚が勤皇僧だったとかで、この寺は郷士や庄屋連中の格好の密会の場となったという。
龍馬も2度目にここに来た時、志士と熱論に及び、庭に駆け下りるやいなや木刀でお地蔵の首を一刀両断に斬り落としたらしい。

その首無し地蔵の供養のために、近くの城山から松を持ってきて代わりに植えたというが、その松も現在では4代目になるという。

どんな議論が交わされたのか知らないが、
なにも石仏の首を斬り落とさんでも。。。と思うのは私だけかな(笑)

当時の志士の“熱さ”と、須崎まで往来する昔の人の健脚ぶりに驚かされます。

また須崎は、

よさこい節で

 ♪〜土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た〜♪

と唄われた有名な駆け落ち事件のヒロイン‐「お馬」さんの追放地である。

「お馬」さんが須崎へ追放されてきた時、道々、「お馬」さんを一目見ようという見物人で溢れかえり、せり合った見物人が溝に落ちたという(笑)

安政3年(1856)当時の須崎の庄屋は、この時 後の天誅組総裁‐吉村虎太郎(21歳)が務めていて、
追放されて“庄屋預かり”となった「お馬」さんを監視する役目を担ったらしい。

吉村虎太郎と「お馬」さん。
意外な接点があったんですねぇ。

ご当地、高知ならではのお話ですね (^-^)


(つづく)
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by mop-okamura | 2010-07-30 22:27
高知あちこちvol.7 〜野中兼山〜
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【写真】

① 高知城 追手門脇の野中兼山邸跡
② 城下から高知城を眺める
③ 五戸山麓にある兼山神社
④ 奉納額の中の兼山肖像画


護国神社からの帰り、バス発車まで1時間ぐらいまだ時間があったので(バスは1時間に1本しかない)、足をのばして兼山神社に行ってみた。

野中兼山は土佐藩の名家老で、その治績の数々は枚挙に暇がない。

ただ私が知っているのは兼山晩年の境遇の悲惨さの方で、
兼山の30年に及ぶ改革人生の最後はまことに悲劇でした。

兼山は政敵に失脚させられた後、日ならずして悲嘆の内に客死したが、
その息子、娘たちは…

「野中家の男子は一生娶ることは相成らん。女子も嫁しては成らん。」

という厳罰の下、
野中家の子孫は断絶させられました。

一昨年、筆山に吉田東洋のお墓にお参りに行った際、同地に野中兼山の墓もあったのでお参りした。

今回は、野中兼山を祀った兼山神社を訪れたわけだが、
子孫を残すことを許されなかった野中兼山の社殿は、手を入れたり管理する人もいないのか、荒れ果てて、白や黒のたくさんの野良猫の住処となっていました。

あくびや伸びをしている猫を横目に、社殿の奥を透かし見ると、
中央に掲げられた兼山の肖像画の右隣に、なぜか“マレーの虎”と言われた山下奉文の肖像画があり、
そして左隣には吉田茂の肖像画が掛けられてありました。

どういうつながり??

眺めてる内に陽は傾き、急速に夕暮れてくる。

目につく建物も無い、小さな公園のような兼山神社。

夕暮れの人気の無い公園に独りポツンと佇んでいるような寂しさが胸に迫ってくる。

長く伸びた自分の影を引きずりながら
人気の無い兼山神社を、うら寂しい気持ちで後にしたのでした。


(つづく)
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by mop-okamura | 2010-07-30 22:25
高知あちこちvol.6〜護国神社など〜
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【写真】

① 護国神社。海軍之碑(国旗掲揚台)
② 護国神社では今年から(龍馬守り)ではなく
 〈龍馬魂(←魂って(^。^;))〉という過激な?名前の御守り
  が販売されています(笑)。ちなみにこの御守りの龍馬の顔は、
  日露戦争の時に昭憲皇后の夢枕に立った龍馬像の顔がモデル
  になってるんじゃないかな?と思います。
③ 南海忠魂碑
④ 碑の裏側。武市半平太の名が先頭に刻まれている。坂本龍馬
  の名前もあります。
⑤ 鏡川畔の山内神社の裏手に〈傷痍軍人の碑〉がありました。

五戸山の麓に高知県護国神社がある。靖国神社のように、明治維新〜大平洋戦争に至る英霊が祀られている。

私は維新殉難の志士が多く祀られている〈南海忠魂碑〉を見たくて訪れたのだが、いろいろ面白い発見もありました。
当初、岡田以蔵の名は〈人斬り〉のイメージが悪すぎて合祀対象者から外され、ここに祀られなかったという(現在は合祀されています)。

幕末の志士、武市半平太や坂本龍馬、吉村寅太郎等がそれぞれ武市半平太命、坂本龍馬命、吉村寅太郎命という名の神様となって祀られているんだけど、
この碑を建てたのが幕末最後の土佐藩主・山内豊範であるというのがちょっとビミョ〜ですね。
土佐勤皇党盟主・武市半平太なんかは結局、藩主・山内容堂に切腹させられてますしね。

この碑は、勤皇倒幕を弾圧しつづけた藩主自身の反省・悔悟の碑に見えてしかたありませんでした。

そんな、藩主・山内家の菩提を祀る神社(山内神社)の裏手‐鏡川河川敷の中に、『傷痍軍人の碑』がひっそりと建っているのを思いがけず見つけた。

今回の芝居にちょっと関係ある碑に出会い、パチリと写メに収める。

写真右上の、神社の石囲いの隙間から
青銅の山内容堂の蒼い顔が覗いています。

(まだまだつづく)
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by mop-okamura | 2010-07-30 14:26
高知あれこれ vol.5 〜武家屋敷〜
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高知公演中、いっぱい写メ撮ったのに、ほとんど更新できなかったんで、これから“夏休みの宿題”の追い込みをすべく、一挙に更新しま〜す♪

高知城の北、大川筋に上級武士(手嶋家)の武家屋敷が遺ってました。
拝観してると、ガイドのおばちゃんがいろいろ教えて下さる。

一番面白かったのは、屋根瓦の葺き方の特徴についてだ。

(写真②)を御覧いただくと分かりますが、一つ屋根で瓦の向きが違っているんです。真ん中を境にして右向きと左向きに分かれています!
これは、雨量が多く台風によく襲われる土佐ならではの瓦葺きで、片側の瓦が暴風で飛んでいっても、もう片側が残る仕掛けなんだそうだ。
昔の瓦屋根はみんなこういう葺き方で、今でも市内で時々見かけるというんで、古い家を見かけたら、必ず立ち止まって屋根瓦を注目したんだけど、この公演期間中には遭遇しませんでした。

門を入ると、玄関先に大きな蘇鉄が植わっている。
これも武家屋敷の特徴で、蘇鉄の実は切り傷(斬り傷)によく効くという
うちの実家には蘇鉄は無いが、火傷に効くイシャイラズ(医者要らず)はありました。“家庭の医学”ですね〜。

蘇鉄の他にも、背の高い棕櫚の木もあって、棕櫚の葉っぱはハエ叩きに代用したし、幹の毛は壁土に混ぜて壁塗りに使用したんだとか。
お寺の鐘つきの木も、棕櫚の幹を使っているという。
棕櫚の木は捨てるとこありませんね(*^o^*)

長押に槍や長刀が掛けられてあったり、長屋門に武者窓があったり…、
近くにある寺田寅彦旧邸とは全然違った造作が面白かったです。

蔵の中に、手嶋家にまつわる〈手嶋事件〉が説明されてあって、読んでて 昔の土佐の旧習を実感しました。

上士/郷士 の身分差激しい土佐の旧習を 、郷士の視点から憤りながら読みました。

こういうのって、上士の視点から自然に読める方もいるんだろ〜なぁ。。。

私は、郷士気質ですかね!?
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by mop-okamura | 2010-07-27 19:36
高知あれこれ vol.4〜高知城〜
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ひきつづき、公演中に観た史跡などをUPしま〜す♪


●オモシロ 高知城

高知城を登った時、本丸御殿の玄関脇に江戸時代の日時計があった。
正午になると、ヒモの影が真っ直ぐ真ん中にくるという。

私が登城したのが午後12時6分! たまたま正午でした。
確かに影が真ん中に落ちています(写真①)
御殿や天守閣を観覧して戻ってきたのが、午後1時8分。
日時計の影は既に真ん中から外れていました(写真②)

暑い暑い 日中の天守閣のお庭で見た日時計の影は、石に黒く焼き付いてこびりついてるみたいでした。

高知城の正門である追手門の左脇の石垣にダヴィンチ・コードならぬ“キャッスル・コード”があった!?

積み上がった石垣の中に、ひときわ大きい石がいくつかあって、その巨石になんと!カタカナで〈エ〉と〈シ〉の文字が見てとれるのだ。

見にくいですが、(写真④)の中央付近に〈エ〉が、(写真⑤)の中央付近に〈シ〉の文字が刻まれています。

よ〜く見ていただくと分かります。

たぶん、石垣の中でも特に大きい石を運び上げた地域の石工達が、記念に自分たちの地域の頭文字を彫ったのでは?といわれています。

何気に見てると見落としちゃうけど、
いろんな“不思議”がまだまだお城には隠されているのかもしれません(⌒〜⌒)


(つづく)
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by mop-okamura | 2010-07-26 21:45
高知あれこれ vol.3
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●7月21日〜22日のこと

〈21日夜〉

マァ君(木下さん)と二人でラーメン屋を探索。行き当たりばったりで入った屋台のラーメン屋で、乾いた夜風に吹かれながら食べたラーメンが、今回初の高知の〈食〉。
木下さんと飯を食いに出るの久しぶりだなぁ。
途中、帯屋筋の吉田東洋暗殺の地を通った時、《吉田東洋先生記念之地》碑の前で手を合わせる木下さん(写真①)
(↑)神妙な木下さんを見て、なんだか珍しい光景だなぁ(笑)…と思ったら、[龍馬伝]で木下さんは吉田東洋の家来役で出演してたんで、上司の供養のつもりもあってのお参りだという。なるほどね(^-^)
ラーメンを食べた後は、オープンcafeでまったり。木下さんはコーラ、私は岡田以蔵(日本酒)をロックで。高知初日の夜はこうして更けてゆくのでした。

〈22日早朝〉

今朝、トモキュウからの電話で起こされる。

寝ぼけ眼で出ると、今、三上さんとはりまや橋近くの四国銀行にいるという。

そうなんです!
昨日、高知限定で発売された[龍馬500円](写真②)をGETしたとの報せだ!行動・早やっ!
ありがとう!早速トモキュウに私の分も手に入れてもらう。

その後、脱兎のごとくホテルを後にして、照明の大川さんと銀行に向かうも、[龍馬500円玉]はもう全て出払ってしまい“売り切れ”御礼(T_T)

トモキュウから連絡を貰った30分後にはもう!高知市での引き換え販売は終了してしまってました。。。

大人気ですね(⌒〜⌒)
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by mop-okamura | 2010-07-25 23:28
高知あちこち vol.2
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●高知城

一昨年のMOP公演『阿部と拳銃』以来、2回目の登城です。

もう慣れたもんですね♪

城は鏡川と江ノ口川に挟まれた高台にあったので、はじめは[河中(こうち)]と呼ばれたが、治水灌漑に苦心する土地名を嫌って[高知]に改名したという。

高知県の真ん中に高知市があり、高知市の真ん中に高知城が聳え建つ。
文字通り、高知のシンボルですね〜♪

望楼型天守閣で 巡り欄干を持つ天守として有名。
山内一豊が土佐に入国する前に居た掛川城が巡り欄干を持った天守閣で、それに似せて造られたんだそうだ。

追手門から眺める天守閣が一番美しいという(写真①)

追手門から順次、登ってゆくと板垣退助の銅像に出会います(写真②)。フロックコート姿がなかなかお洒落な像です。
退助が何を見つめてるのかな?と思い、後ろに回って背中越しに眺めてみました(写真③)

儀式用の屋敷が並んだ三の丸や、藩主の普段の居住区域であった二の丸は、今やただの空き地で何にもないが、
緑多い杜は癒やしの場です♪

本丸御殿がほぼ完全な状態で保存されてるのは、ここ高知城だけです(写真⑤)
広くはないが、それだけによりいっそう“本物”っぽくて、藩主の息吹きが感じられます♪

天守閣からは街が一望できるが、本丸御殿の藩主御座所に座れば、塀から覗き見えるのは山のてっぺんだけで、空がめちゃくちゃ広い!
蝉の鳴き声はうるさいが、雰囲気はものすごく落ち着いて静かで、ゆったりとした時間が滔々と流れていました。

南海のあたたかくてゆる〜い風が 頬をなぶってゆきます♪


(つづく)
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by mop-okamura | 2010-07-25 08:14



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